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えんのした旧ブログ
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一橋大学内で古本のリユースを中心とした事業を行っているサークルです。現在図書館内で古本を無償で提供しています。
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近鉄でダラダラしてしまったものの、時刻はまだ11時半です。これから頑張れば昼食前にまだいくつか回れるかも、ということで涼しい店内に別れを告げ、再び灼熱の大阪に足を踏み出すことにしました。

しかも今回は暑さ対策も万全ですよ。百貨店を出る直前にトイレに入って水でシャツの襟をびしょびしょにしてきましたから。シャツに首をくっつけるとひんやりするんですよ。いや~こういう時綿シャツっていいですね、って完全に不審者と化していますね(笑)でもしょうがないですよ。だって暑いんだもん。

今度は百貨店を出てさっきとは反対側、つまり駅の南側へ行きます。そこからU字型にぐるっと回って最終的には難波に出てそこで昼食にしたいと思います。

さて、大阪上本町の南側、つまり四天王寺方面はまさに「織田作の街」です。織田作の通った小学校、遊び場にしていた神社、そして生まれ育った路地などがあるのですから。このあたりの風景を織田作は作品の中に多く残しています。

まずは小学校に行ってみましょう。生魂小学校(当時は東平野尋常高等小学校)がそれです。ここは織田作の育った路地のすぐ裏にあって家からは歩いて3分だったそうな。

 

でもここもやっぱり全面改修されてますね…改修というより改築でしょうか?どこにでもある普通の鉄筋コンクリート校舎でした。

 

小学校がこれなので後は推して測るべし…とまでは言いませんが他のスポットもやはり同じような状況です。「織田作之助生誕の地」と地図にあった通りに向かうと…結構広くて新しい通りですね、ってあれ?何もない。

 

いや、通りに沿って建物はぎっしり立ってるんですが、ここが織田作生誕の地であるとわかるようなものは何もありませんでした。無理なことはわかってるんですけどね…でもやっぱりファンとしては…がっかりしますよ。



とりあえず現在の通りの姿をパチリ!ちなみに織田作の(2番目の?)生家があったところは建材屋さんになっていて「麻生セメント」特約店だそうです(笑)あの「麻生さん」ですよね?

 

でも通りをぶらぶらしていると現在位置を示す地図があってそこには「織田作之助文学碑」の文字が!なんだあるんじゃないですか。ええと、どうも先ほど行った小学校の裏あたりらしいです。僕の持っている地図にも書いてなかったのでこれはラッキー、と喜び勇んで向かったまでは良かったのですが…

地図の指している場所を探しても何もありません。おかしいなーまた間違えたかー?小学校裏の路地を往復すること15分やっぱり…ない。さっきの地図は携帯にとってあったので、何度も見返しますがどうもおかしい。いやな予感がしてきたゾ…(半泣)

そこでこういうときは地元の人に聞くのが一番!と向こうから自転車に乗っておばさんが近付いてきました。
僕「あの~すみませ~ん」
おばさん「……(無言)スル~
僕「あっ、あの~」
おばさん「スル~
そのままおばさんはスルーしていってしまいました(泣)そんなにスピード出してなかったのに…すぐわきまで出ていって声をかけたのに…よっぽど僕が不審者に見えたのでしょうか、完全に無視されてしまいした。

ショック…せっかく勇気を出して聞こうとしたのに…精神的ダメージが半端じゃありません(笑)

それでも、反対側から別のおばさんが。ジョギング中のようです。ふたたび声をかけてみます。おっ、今度はとまってくれました。
僕「すみません、このあたりに織田作之助の文学碑があると聞いたんですけど…」
おばさん「知らない(スタスタ)」

ガーン。またもショック。いったいどうなってるんでしょうか確かに地図に書いてあったのに。2度の精神的ショックを喰らった僕にはもはやこれ以上探す気力はなく次のスポットに向かったのでした…

と、手元のガイドブックを見ると次なる目的地である「口縄坂」の横に「織田作之助文学碑」の文字が…あれ?
ともかくも行ってみましょう。

「夕陽丘」という標示が出ています。これも作品でおなじみですね。そこから少し行くとだんだん道が狭くなってきて…出た!ここが口縄坂です。そしてその隣には織田作の小説『木の都』の一説が彫られた「織田作之助文学碑」が。何だここにあったんですね。許せん大阪府(大阪市?)!間違った地図を出しとくんじゃねえ!

 

橋下知事に文句言ってやりたいです。しかもよりによって織田作ですからね…やっぱり大阪でももう忘れられた存在なのでしょうか?さっき聞いたおばさんもそもそも「織田作」自体知らないみたいでしたし…これが時の流れというやつか…と妙に悲しくなってしまいました。

さて本題に戻りましょう。口縄坂は織田作が自分の生まれ育った街を描いた、いわば自伝的小説とでもいうんでしょうか『木の都』の舞台であり、織田作思い出の坂なのです。

「口縄(くちなわ)とは大阪で蛇のことである。と言えば、はや察せられるように、口縄坂はまことに蛇のごとくくねくね木々の間を縫うて登る古びた石段の坂である。蛇坂といってしまえば打ちこわしになるところを、くちなわ坂とよんだところに情調もおかしみもうかがわれ、この名のゆえに大阪では一番さきに泛ぶ坂なのだが、…」(織田作之助『木の都』)

しかし実際の口縄坂は全くくねくねしていません(笑)真っ直ぐ、ストレートです。お寺の横の、暗くて細い、木々に囲まれた石畳の坂は確かに「蛇っぽい」といえないこともないですが。昔の人のネーミングセンスに脱帽。

文学碑の横で昼寝する猫を発見!まさか前世は織田作…?

 

そして坂の頂上の文学碑にはやはり『木の都』の最終章が刻まれていました。

 

「口縄坂は寒々と木が枯れて、白い風が走っていた。私は石段を降りて行きながら、もうこの坂を登り降りすることも当分はあるまいと思った。青春の回想の甘さは終わり、新しい現実が私に向き直って来たように思われた。風は木の梢に激しく突っ掛っていた。」(織田作之助『木の都』)

つづく…
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さて、コンビニでたばこを購入した後ガイドブックを参考にまず高津高校のほうへ。今回の旅で参考にしたのは『名作旅訳文庫6 大阪 『夫婦善哉』 『アド・バルーン』 織田作之助』(JTBパブリッシング)です。織田作縁の地をピックアップした地図や豆知識、写真がたくさん載っているので非常に役に立ちます。

15分ほど路地をふらふらして大通りに出ると、あっ。あそこかな?それらしい建物が見えてきました。ここが大阪府立高津高校(旧制高津中学)。織田作之助の母校です。



読み方は「たかつ」じゃなくて「こうづ」ですよ。

織田作は下町の仕出し屋の家に生まれ、姉たちは近所の子供たちと同じようにその当時一般的だった丁稚に行きましたが、自身は小学校卒業後同じ小学校からは3人しか合格しなかった難関の高津中学校に合格します。これは当時としては異例のことだったようです。さらに織田作は中学卒業後今度は第3高等学校に合格。今の京都大学ですね。これまた近所の人はびっくり仰天だったようです。



そんな高津中学校ですが、どうやら最近改築されたらしくかなりモダーンな感じになっていました。(当たり前とはいえ)残念ですねー。まあ、織田作がこの学校に通っていたのは戦前の話で、まだ「旧制中学」だった頃ですからね。どこかの大学並みにおしゃれな校舎をあとにし、次に目指すは作之助のお墓。

織田作のお墓は高津高校のすぐ先にある「楞厳寺」(りょうごんじ)の敷地内にあります。高津高校からは10分もかからないです。地図を頼りに行ってみると、おや、小さなお寺がいっぱいあります。どれが目的地なんでしょうね?ぐるぐるすること3分ようやく見つけました。が、想像していたよりもお寺が小さい。いえ、このあたりのお寺は皆大体同じくらいなのですが、本に「織田作之助の墓はだれでも自由に参拝できる」と書いてあったので何かだだっ広い墓地の一角に織田作の墓があるものと思っていました。



このくらいの大きさのお寺だと人の家のお庭に入っていくみたいな気がして…抵抗がありました。ホントに「だれでも入れる」のか?不安…。炎天下の中5分ほど迷った挙句、開き直って中へ。

誰もいないみたいです。入ってすぐ左手に、ありました。織田作の墓。

 

さっそく煙草を…置いておいていいのかな?そういえば線香も持ってない…しょうがないか。ということでラッキーストライク1箱を供え、手を合わせて「はじめまして。横浜から来ました。織田さんのファンです…」と心の中でつぶやきました。

さあ、お墓に煙草も供えたし次行くか!と調子づいて行きたいところでしたが、やはり睡眠不足が…さらに猛暑も追い打ちをかけ…。まずいですね、軽く。しかしせっかく大阪まで来たわけですから体調不良ごときには負けていられません。次に行きましょう!

ということで次なる目標は「井原西鶴のお墓」。そう、あの井原西鶴です。江戸時代の。織田作は(時代は違いますが)同じ大阪出身で庶民の生活を描いた井原西鶴に非常に傾倒していました。織田作の文学の中には西鶴の影響が多々見られます。

しかーし。西鶴のお墓がある寺が見つかりません。おかしーなー、このあたりのはずなのに。20分以上さまようはめになりました。それにしても暑い!この間の放浪の旅もそうでしたが何で今年はこんなに暑いんですか!ただでさえ暑いのは苦手なのに…とぼやきつつ先日と同じように空のペットボトルを量産していきます。いや、今回は体調不良も加わってよりまずい感じです。そして、何とか見つけました、西鶴のお墓。一本道を間違えていたみたいです(笑)ちなみに西鶴のお墓は誓願寺というお寺の中にあります。ここもさほど大きくないお寺です。

 

さて西鶴のお墓を巡ったところで、このあたりの散策は終わり。いったん駅のほうに戻り、反対側の縁の地を巡ります。しかし、暑さが限界に来ていました。さすがに自分でもまずいと感じたので散策を中断し、どこかに避難しましょう。いや、ほんとにだんだん正午に近づいて気温も上がり、体力も限界です。35度、大阪の暑さは伊達じゃない!

こういうとき避難場所として最適なのは(僕的に)1位銀行、2位薬局、3位コンビニ(エアコンのひんやり具合ランキング)なのですが、今日は長時間避難したいし、足が疲れたのでどこか座れるほうがいいです。3つとも駄目ですね。かといってあまりお金も使いたくないので喫茶店やレストランも却下(ケチ根性です(笑))。どこかいいところはないかと、ぼんやりする頭で考えつつ駅まで戻ってくると…駅前に近鉄百貨店が!

結局近鉄百貨店には2時間ほどお世話になりました(笑)申し訳ありません。近鉄大好きです。僕の故郷も近鉄が走ってるんですよ。それで「近鉄」という響きを聴くとなんか懐かしくなってしまいます。あと個人的には「大阪近鉄バファローズ」のファンだったもので…いやあ2001年の近鉄は本当に面白い野球やってましたよね。特に優勝を決めた試合なんか北川の代打逆転サヨナラ満塁ホームランって…すごすぎでしょ。すみません話が大幅にそれました。

とにかく中は涼しくて、しかも本屋さんはいすが置いてあって本を読んでいてもいいみたいだったので…それにしてもさすが関西ですね。受験コーナーの赤本のラインナップが違う!こっちではあまり見かけないのもいろいろ置いてあります。

それにしても予定がだいぶ狂ってしまいましたね…昼食前にまわっておきたいスポットがまだまだあるんですが…どうしよう?

つづく…

こんばんは!水島上等兵であります。

いや~今夜はもうすっかり秋めいていますね。夏休みも残すところあとわずか。なんだかテンション下がりますね(笑)

でもこれからは秋ですからね、秋。読書の季節ですよ皆さん!お気に入りの本を探して、あるいは携えて「えん」でまったり過ごしませんか(笑)ちなみに「えん」は冬学期は10月4日からオープンする予定です。以上宣伝でした。

それでは本題(笑)文学放浪記の第2弾の舞台は大阪です。そう大阪まで行ってきました!8月の後半に青春18きっぷと「ムーンライトながら」を使って…本題とはずれるのでここでは省略しますが、やっぱり大変でした(笑)何が大変って、前回の反省を生かして空気枕を持ち込んだまでは良かったのですがクッションを持っていかなかったのでまたも腰が…大垣についた時点でもう戦意消失していましたもん(笑)皆さんも「ムーンライト」に乗る時は気を付けてくださいね!

 

大垣から電車を乗り換えること2本「木の都」大阪に着いたのは8時過ぎでした。前日の天気予報で言っていた通りこの日の大阪は気温35度。またですか…(笑)(注)前回の放浪も暑さで大変でした。

当初の予定ではすぐにJR大阪環状線に乗り換え、途中の鶴橋で降りて近鉄乗換→大阪上本町、のつもりでしたが昨夜はムーンライトの中であまり眠れず起きていたため5時過ぎから猛烈な空腹が…。大阪駅の中をふらふらしていると、夜はビアホールで朝昼喫茶店の店があり、そこでモーニングセット400円を。僕はアイスレモンティーとクロワッサン、ゆでたまご、ミニサラダのセットにしました。

空腹が多少緩和されたところでいざ出発!環状線の車内で「リポビタンD」をグイッと。いや、スタート時点からもう結構ヤバかったんです、ほんとに。7つ目の鶴橋で降りて近鉄に乗り換え、一つ目の駅が今日の「真の」スタート、大阪上本町です!

大阪上本町9時ごろ到着。ここは織田作之助の墓所、そして作之助の通っていた「高津高校(旧制高津中学)」の最寄り駅なのです。

おっと、話が先走ってしまいましたね。ご存じない方もいらっしゃるかもしれないので本日の主役、織田作之助について。織田作之助(1913~1947)は大阪出身の作家で、たぶん彼の小説の中では『夫婦善哉』が一番有名でしょう。しっかり者の妻がダメ夫と苦労しつつも(原因は大体ダメ夫のせいですが・・・)たくましく生きていくという作品です。「織田作」はこの作品に限らず「大阪の庶民」の生き生きとした暮らしを題材として作品を書き続け、戦後は太宰治、坂口安吾とともに「無頼派(戦後戯作派)」と称される流行作家になりましたが、持病の結核のために若くして亡くなりました。

実は僕は織田作のファンなんですよ。何というんでしょうか、庶民派なところ、「大阪しゃべくり体」と呼ばれるようなテンポの良い文体がいいんですよね。大阪出身のおもろいあんちゃんにおもろい話を聞かされてる(「えん」のメンバーにも大阪出身の面白い方がいらっしゃいますけど…(笑))、って感じですね。しかもそれでいて、底抜けに明るいだけでなくしんみりしたところもある。

いわゆる情緒ですね、情緒。大阪の下町の情緒を感じさせるんですよ。その点では前に紹介した東京の下町と近いといえば近い、かもしれません。下町好きですね(笑)

それではっと、地下通路を出るといきなり飛びこんできたのはクマゼミの声。いいですよね~この声を聞くと夏休みって感じがします。最近ではこっちでもときどき聞きますけど…僕の実家は名古屋なので昔はよく聞いたものです。そして目の前には「千日前通り」の標識が。来たっ!織田作はよくこの千日前を作品に取り上げているんですよ。はじめてきたのに知らない土地じゃない気がしますね。

 

まずは近くのコンビニに入ります。何でかって?織田作のお墓に供える煙草を買うためですよっ!というわけで織田作の好きだった銘柄「ラッキーストライク」を。
僕「ラッキーストライクください」
店員さん「はい。ソフトですか?それとも✕✕✕(何を言っているか分からず)ですか?」
僕「…(✕✕✕って何?)はっ!(織田作がヘビースモーカーだったことを思い出す)つ、強いほうで」
店員さん「???いや、強いとかじゃなくて✕✕✕かどうかっていうことで…」
僕「(パニック)あ、あ、あッ。いいです、じゃあソフトで」
というわけで無事「ラッキーストライク ソフト」320円を購入できました。だってしょうがないじゃないですか、煙草なんか20年生きてきてこのかた一度も買ったことがなかったんだもん(泣)✕✕✕って何?しらねーよ(泣)

✕✕✕は後になって考えてみたらフィルター関係について言ってたんじゃないかと思い当りました。が、すでにこのときから迷走と灼熱と織田作の一日は幕を開けていたのです(笑)

つづく…
朝からのどしゃぶりも、一時小康状態。
東京で25℃を下回るのは、3か月ぶりだとか。

こんな日は、まさにパン屋さん日和ですよね。

というわけで、今日は国分寺をぶらぶら…

国分寺駅北口を出て、北口商店会にあるのが
「パンの家 ラ・ママン」。
品ぞろえはオーソドックスですが、どれも可愛らしい小ぶりサイズで、パクっと食べられそう。
悩んだ末、食パンと「オレンジドーナッツ」を購入。
「オレンジドーナッツ」は、冷めても油っこくなく、もっちもちの生地とオレンジのさわやかな風味。
これはクセになりそう…
「ママが子どもたちに安心して食べさせれるパン」をモットーに、
添加物などを使わずに作っているという
こだわりのパン屋さんです。
ちなみに、手提げ袋は有料(5円)です。ご来店の際には、マイバッグのご持参を。
(後の2軒でも「手提げ袋はご利用ですか?」と尋ねられました。さすが、エコ時代!)

次は、南口。
駅を出て、まっすぐ左。大きな交差点を右に折れたところにあるのが
「キニョン」。
店構えが、かなりカワイイです。
店内の装飾やポップも統一感があり、見ているだけで幸せな気分です^_^
こちらでは、店員さんに勧められて、「生姜焼きバーガー」を購入。
レジ横で試食に出されていた「七つのベリー」他、4種類のパンが「雨の日サービス」で20円引き♪
やっぱり、雨の日はパン屋さん日和ですね。

さらに坂を下っていくと、「アチパン」があります。
こちらは、「Cafe Slow」「おかげさま市場」と隣接しており、
地元のお客様で賑わっている感じです。
中庭がオープンスペースになっていて、買ったパンを食べられるようです。
ここは屋根があるので、雨でも安心。
店内も落ち着いた雰囲気で、ゆったりパンを選べます。
「クルミドン」「雑穀ポコポコ」など、ネーミングセンスがユニーク。
「焼き立て」に惹かれて買った「クルミあんぱん」は、生地がしっかりしていて食べ応え十分。
中の餡も粒あんだったので、大満足です。

余談です…いえ、ここからが本題です(笑)
国分寺の古本屋さんをご紹介します。
「ラ・ママン」をからすぐのところにある
「ら・ぶかにすと」。
入口付近に近刊本や絵本が並んでおり、とても入りやすい雰囲気です。
やっぱり、入口は大事ですね。「えん」のレイアウトにも参考になります。
店内も、コミックや文庫本が多く、いわゆる「古本屋」という年季の入った本は
あまり目立ちませんでした。
「古本屋=おじいさん」という勝手なイメージを持っていましたが、カウンターに座っていたのは
女性の店主さん。道理で、棚のところどころに貼られた絵付きのコメントなど、
和みポイントがちらほら。


明日からは、また残暑復活のようです。
変わりやすい気候ですが、皆さま体調にお気をつけください。

最後までお付き合いいただき、ありがとうございます。


やっぱり大塚駅は他の駅と違って乗客の乗り降りが結構ありますね。さすがJRパワー。

「しかし荒川線の真骨頂は、庚申塚あたりから飛鳥山にかけて民家と接触せんばかりの、布団や毛布なんぞが遠慮なく干してある所有権の曖昧なフェンスに護られたながいホーム・ストレートにあり、運転席の背後に立ってこの直線を走るときの固いサスペンションを介して足裏に響いてくる心地よい振動と左右の揺れは乗り合いバスでも代替できるものの、横光利一ふうに言えば踏切を《黙殺》してトップスピードに乗り、火花が飛ぶほどのブレーキングで滝野川のシケインを抜けて、渋滞でないかぎり東北新幹線の高架下までの公道との併用軌道を相当な横Gを乗客に課しながら下っていくわずか1、2分の下り坂がもたらす原初の快楽を満喫できるのは、あの由緒正しい花やしきのジェットコースターを除いてほかにない。」(『いつか王子駅で』 p.22~23)

そうです。この小説中にもあるように、やはり大塚を出てから先、王子駅前までの区間が荒川線の真骨頂と言えましょう。この区間が一番動きに変化があります。

何と云うんでしょうか、電車もコースも「やっと人が多い区間を抜けたか。いっちょやったるぜ」って感じを出してるんですね。束縛からの解放、とでも云いましょうか(笑)本当に専用軌道ギリッギリのところまで周りの民家の布団や、植木鉢、その他もろもろが置かれていて、その間を飛ばしていくわけです。結構揺れもあります。

「火花が飛ぶほど」はブレーキングしませんでしたが、そのままシケインも通り、しばらく行くと公道との併用軌道に出ました。このあたりでは路面電車線用の信号機が「車」用の信号機の下についています。免許をお持ちの方ならおわかりになると思いますが、教習所の学科で習うあの黄色い矢印の信号機です。

渋滞はしていませんでしたが、途中いったん交差点で信号が変わるのを待ちます。路面電車であっても交通ルールはほぼ同じようなもの。トラックやバス、乗用車に交じって電車が交差点待ちをしているのはなかなか異様な光景に感じられますが、このあたりの風景におなじみなのでしょうね。

ヴヴヴヴ…と唸りをあげて交差点を発進。一気にスピードを上げます。王子駅はすぐです。
「花やしきのジェットコースター」に匹敵する下り坂に差し掛かりました。横Gはそれほどでもないですが坂がS字カーヴになっているんですね、確かにジェットコースターみたいです。運転手さんがブレーキをかけつつ、見事にクリア!東北新幹線の高架下を通って王子駅前に出ました。

 

ここでもやはり乗り降りの動きがあります。どうやら乗客の半数くらいは入れ替わってしまったようです。私も当初の予定ではここで終わりにするつもりでしたが、どこまでいっても同じ料金なら…というケチ根性と、どうせ時間があるから、という要するに暇人根性が出てしまい、結局このまま旅を続けることにしました(笑)

 

目標変更。終点三ノ輪橋駅。

といっても、ここから先は荒川線そのものに関しては、特に何もありませんでした。やはりさっきの区間が一番変化に富んでいて王子駅を超えて荒川区のあたりに入るとただまっすぐ専用軌道を走るだけなのです。

別に退屈、ということはありませんよ。電車の周りに広がる光景はまさに下町そのもの。ゆったり、まったりとした空気が流れて、東京であって東京でない感じ。まるでタイムスリップしたみたいです。

途中荒川車庫前駅で運転手さんが交代します。ここの見どころは運転手さん専用のホームが乗客用とは別にあることです。そして、路面電車のスピードを操るハンドルがあるのですが、そのハンドルを覆う袋?のような布は各運転手さんがそれぞれ持っていて、乗り換えの際に名札(荒川線にはその列車の運転手を示す名札が運転手席横にあります。「この電車の運転手は~です」)といっしょにはずして自分のカバンにしまうんですね。交代時の、運転手さんがみせるこの素早い一連の動作は必見です☆

あ、あとこの区間では時々建設中の東京スカイツリーを望むことができます。新たな下町のシンボルですね。

そうこう云っているうちに終点三ノ輪橋に到着。所要時間約1時間の小旅行でした。ありがとう、都電荒川線!

 

さて、それではこれからどうしましょうかね。何も考えずにここまで来てしまいました。とりあえず最終的にはJRにたどり着かないと…。とりあえずあたりをぶらぶらしてみますか。

下町を走る都電荒川線の終点なので、つまり三ノ輪橋界隈は下町中の下町ってことになるのでしょうか、三ノ輪橋駅自体も下町なのか『ALWAYS 3丁目の夕日』なのかよくわかりませんがそういう雰囲気を意識しているみたいです。

 

駅を出るとすぐにアーケード商店街がありました。「ジョイフル三ノ輪橋」というそうです。なぜかバンプ・オブ・チキンの『天体観測』が流れてました(笑)昔ながらの専門店がいまだに元気みたいですね。スーパーに負けるな!

 

しかも「ジョイフル三ノ輪橋」以外と長い!いろんなお店がありました。手作り餃子のお店がなぜか2軒も。このあたりでは餃子が人気なのでしょうか。そのほかにも昔ながらの惣菜屋さんが揚げ物を揚げていたりとなかなか面白いです。下の写真は八百屋さんの前で売られていた自家製漬物の面々です。

 

やっとジョイフルを抜けました。突き当たりのところに看板があって左に行けば駅なのですが、右手に行くと…「荒川総合スポーツセンター」とあるじゃないですか!これは行くしかない!!

「荒川総合スポーツセンター」の何に興奮しているんだ、お前、と思われるかもしれません。しかし私は忘れていました、ここは荒川区だということを。最寄りのJR駅が「南千住」であるということを。ご存じないかもしれませんが「荒川総合スポーツセンター」は「東京スタヂアム」の跡地に建てられた施設なのです。

「東京スタヂアム」自体皆さんご存じないかもしれませんね。今のプロ野球、パシフィック・リーグに所属する千葉ロッテマリーンズの前身、オリオンズの本拠地だった野球場です。確か『こち亀』にも出てたと思います。
当時の下町の人々にとっていちばん身近なプロ野球球団は巨人ではなくオリオンズであり、野球場は後楽園ではなく東京スタヂアムだったわけです。しかし、経営難などもあって30年以上前にスタヂアムは取り壊されてしまいました。

かつての東京スタヂアムが今は「荒川総合スポーツセンター」になってしまっている、ということは前から知っていたのでこんなに興奮していたのです。プロ野球ファンとして是非巡礼しなくては!ということでまたまた予定を変更してレッツ・ゴー。

こんなに予定変更ばかりしていて大丈夫か、と思いつつ民家の間の細い路地を抜けていくと、あっ銭湯が。すごい、まだ残ってるんですね。商店街で買い物をするおじいさんと孫娘の二人乗り自転車といい、下町は人情の街であることを実感させられます。広い道に出ました。そして…あった!荒川総合スポーツセンター。

 

微妙にダイヤモンド型をしたその敷地の形だけが、かつてここが野球場であったことを示していました。何か記念碑的なものでもないかと周りをぐるりと。あ、スタヂアムではないけど一応野球場もあるんですね。近所の野球チームが練習していました。この暑いのに…

ぐるりと回ってみましたが何もありません。激しく落胆。そして何よりも暑い!暑い!!暑い!!!新しく買ったペットボトルの水があえなく消し飛びます。軽く熱中症気味です。これはまずい。

ヤバい、ヤバいと思いつつも涼む場所がありません。こうなったらさっさと駅にたどり着くしかない。そう切り上げる決心をして案内標識を見ると「JR南千住駅…約1キロ」。はっ?なんですか?1キロ?1キロも歩くのかよ~。

この灼熱の中をあと1キロも歩くなんて…。それは苦行以外の何物でもありませんでした。買った飲み物は片っ端から消え、片っ端から汗となって流れて行きました。そう、まるで砂漠です。このあたりは低い建物が多いので日陰もそんなにないのです。

そして熱中症気味で働かなくなった頭の中では、あの名曲が流れていました。まさにこれは『東京砂漠』だと。
「あなたがいれば~ああ、うつむかないで~歩いていける、この東京砂漠ぅ~」(内山田洋とクールファイブ)ですよ。優しさ(人情)はあふれていますけど物理的に砂漠でした(笑)ほんとに。


終わりに

結局本格的に熱中症になる前に南千住駅に着くことができました。常磐線に乗ったときのあの爽快さは当分忘れられそうにありません(笑)最後はちょっと大変でしたが今回の旅はとても良い旅でした。下町の人情に触れられた気がします(笑)長い夏休み、暇があったらぜひ皆さん行ってみてください、面白いですよ~。私はまた下町に行こうと思うのですが何か「下町の」古典・名作小説ってどんなのがありますかね?私が思いつくのは永井荷風の『濹東綺譚』位なのですが…。お勧めの本がおありでしたら、ぜひコメント欄にお願いします。
あっ、もちろん感想なんかもお気軽に。
それでは長くなってしまい申し訳ありませんでした。