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一橋大学チーム・えんのした
チーム・えんのした
一橋大学内で古本のリユースを中心とした事業を行っているサークルです。現在図書館内で古本を無償で提供しています。
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近鉄でダラダラしてしまったものの、時刻はまだ11時半です。これから頑張れば昼食前にまだいくつか回れるかも、ということで涼しい店内に別れを告げ、再び灼熱の大阪に足を踏み出すことにしました。

しかも今回は暑さ対策も万全ですよ。百貨店を出る直前にトイレに入って水でシャツの襟をびしょびしょにしてきましたから。シャツに首をくっつけるとひんやりするんですよ。いや~こういう時綿シャツっていいですね、って完全に不審者と化していますね(笑)でもしょうがないですよ。だって暑いんだもん。

今度は百貨店を出てさっきとは反対側、つまり駅の南側へ行きます。そこからU字型にぐるっと回って最終的には難波に出てそこで昼食にしたいと思います。

さて、大阪上本町の南側、つまり四天王寺方面はまさに「織田作の街」です。織田作の通った小学校、遊び場にしていた神社、そして生まれ育った路地などがあるのですから。このあたりの風景を織田作は作品の中に多く残しています。

まずは小学校に行ってみましょう。生魂小学校(当時は東平野尋常高等小学校)がそれです。ここは織田作の育った路地のすぐ裏にあって家からは歩いて3分だったそうな。

 

でもここもやっぱり全面改修されてますね…改修というより改築でしょうか?どこにでもある普通の鉄筋コンクリート校舎でした。

 

小学校がこれなので後は推して測るべし…とまでは言いませんが他のスポットもやはり同じような状況です。「織田作之助生誕の地」と地図にあった通りに向かうと…結構広くて新しい通りですね、ってあれ?何もない。

 

いや、通りに沿って建物はぎっしり立ってるんですが、ここが織田作生誕の地であるとわかるようなものは何もありませんでした。無理なことはわかってるんですけどね…でもやっぱりファンとしては…がっかりしますよ。



とりあえず現在の通りの姿をパチリ!ちなみに織田作の(2番目の?)生家があったところは建材屋さんになっていて「麻生セメント」特約店だそうです(笑)あの「麻生さん」ですよね?

 

でも通りをぶらぶらしていると現在位置を示す地図があってそこには「織田作之助文学碑」の文字が!なんだあるんじゃないですか。ええと、どうも先ほど行った小学校の裏あたりらしいです。僕の持っている地図にも書いてなかったのでこれはラッキー、と喜び勇んで向かったまでは良かったのですが…

地図の指している場所を探しても何もありません。おかしいなーまた間違えたかー?小学校裏の路地を往復すること15分やっぱり…ない。さっきの地図は携帯にとってあったので、何度も見返しますがどうもおかしい。いやな予感がしてきたゾ…(半泣)

そこでこういうときは地元の人に聞くのが一番!と向こうから自転車に乗っておばさんが近付いてきました。
僕「あの~すみませ~ん」
おばさん「……(無言)スル~
僕「あっ、あの~」
おばさん「スル~
そのままおばさんはスルーしていってしまいました(泣)そんなにスピード出してなかったのに…すぐわきまで出ていって声をかけたのに…よっぽど僕が不審者に見えたのでしょうか、完全に無視されてしまいした。

ショック…せっかく勇気を出して聞こうとしたのに…精神的ダメージが半端じゃありません(笑)

それでも、反対側から別のおばさんが。ジョギング中のようです。ふたたび声をかけてみます。おっ、今度はとまってくれました。
僕「すみません、このあたりに織田作之助の文学碑があると聞いたんですけど…」
おばさん「知らない(スタスタ)」

ガーン。またもショック。いったいどうなってるんでしょうか確かに地図に書いてあったのに。2度の精神的ショックを喰らった僕にはもはやこれ以上探す気力はなく次のスポットに向かったのでした…

と、手元のガイドブックを見ると次なる目的地である「口縄坂」の横に「織田作之助文学碑」の文字が…あれ?
ともかくも行ってみましょう。

「夕陽丘」という標示が出ています。これも作品でおなじみですね。そこから少し行くとだんだん道が狭くなってきて…出た!ここが口縄坂です。そしてその隣には織田作の小説『木の都』の一説が彫られた「織田作之助文学碑」が。何だここにあったんですね。許せん大阪府(大阪市?)!間違った地図を出しとくんじゃねえ!

 

橋下知事に文句言ってやりたいです。しかもよりによって織田作ですからね…やっぱり大阪でももう忘れられた存在なのでしょうか?さっき聞いたおばさんもそもそも「織田作」自体知らないみたいでしたし…これが時の流れというやつか…と妙に悲しくなってしまいました。

さて本題に戻りましょう。口縄坂は織田作が自分の生まれ育った街を描いた、いわば自伝的小説とでもいうんでしょうか『木の都』の舞台であり、織田作思い出の坂なのです。

「口縄(くちなわ)とは大阪で蛇のことである。と言えば、はや察せられるように、口縄坂はまことに蛇のごとくくねくね木々の間を縫うて登る古びた石段の坂である。蛇坂といってしまえば打ちこわしになるところを、くちなわ坂とよんだところに情調もおかしみもうかがわれ、この名のゆえに大阪では一番さきに泛ぶ坂なのだが、…」(織田作之助『木の都』)

しかし実際の口縄坂は全くくねくねしていません(笑)真っ直ぐ、ストレートです。お寺の横の、暗くて細い、木々に囲まれた石畳の坂は確かに「蛇っぽい」といえないこともないですが。昔の人のネーミングセンスに脱帽。

文学碑の横で昼寝する猫を発見!まさか前世は織田作…?

 

そして坂の頂上の文学碑にはやはり『木の都』の最終章が刻まれていました。

 

「口縄坂は寒々と木が枯れて、白い風が走っていた。私は石段を降りて行きながら、もうこの坂を登り降りすることも当分はあるまいと思った。青春の回想の甘さは終わり、新しい現実が私に向き直って来たように思われた。風は木の梢に激しく突っ掛っていた。」(織田作之助『木の都』)

つづく…
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zsacazjnyp URL 2012/12/31(Mon)17:59:39 編集
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